ガネのいろいろ

ぐだぐだ書いたりします

映画のお話

ご無沙汰しております、ガネです。久々にブログを更新しました


なぜかって……

















はい。ゲゲゲの鬼太郎の映画が公開されるからです

映画がやること自体はかなり前から言われてたんですが先月27日にティザービジュアル、そして公開日時が発表され、色々な感想がSNSを飛び交っています。38式を持つ若干向井理味を感じる水木や血みどろの登場人物たちなどが写し出され、とても興味深いですね。

このティザービジュアルを見て、自分ももちろん大いに湧き上がりました。しかし、それと同時に頭の中に二つほど疑問も浮かび上がりました。
なので今回この疑問点とそれに対する自分なりの考えを書き殴ってみました。
「○○が◆◆だから▲▲で〜」みたいなめちゃくちゃ粗いモノなので何卒優しい目で見ていただきたいです






はじめに

まずゲゲゲの鬼太郎について軽く説明
知ってるわって人は飛ばしても構いません
ゲゲゲの鬼太郎とは漫画家:水木しげるが手掛けた怪奇漫画。幽霊族の最後の生き残りである鬼太郎が悪い妖怪と戦うというものでアニメ化もしています。
大雑把に書けばこうですが、シリーズごとに設定が細かく違ってくるので詳しく書こうとすると非常に長くなるのでここでは割愛します。
ただ「幽霊族最後の生き残り」であることは大半の作品で共通しているのでよくわかんないって人はとりあえず

  • 鬼太郎は幽霊族の生き残り
  • 人間に助けてもらった恩義で人助けをする。悪い妖怪と戦う
  • 作品によって性格や行動原理などか違ってくる

これだけ覚えてもらえれば大丈夫です



作品についてざっと知ってもらったところで早速本題に入っていきましょう


第一の疑問

映画のアオリ文で原点と銘打ってる通り鬼太郎出生に関わる作品です。父親と水木の出会いは多くのシリーズで根幹を成す要素。そして原点と言えば鬼太郎シリーズの大元である「墓場鬼太郎」のことも脳裏によぎるでしょう。
この映画で鬼太郎の父親と水木がどう関わってくるのか・どんなストーリーになるのか….と思うところで一つ目の疑問が生まれました。

この映画が言いたい原点とは?

原点….先程冒頭で述べた「墓場鬼太郎」(以下原作)のリメイクをするのかなと映画制作報告があった時には思いました。


原作だと父親は包帯でグルグル巻きのミイラ男の様な風貌で*1

不治の病に侵され余命幾許かの時に人里に降り、そこで初めて水木と出会います。


一方この映画で登場する父親はアニメ版鬼太郎の6期に出てくる全盛期の姿となった父親をさらに若くしたような姿です。

この姿はアニメオリジナルであり、原作どころか漫画作品では一切登場しません。



明確に「この映画では全盛期の父親と水木が出会う」とは書かれていませんが、仮に映画内、全盛期時に水木と出会い、なおかつ原作と同じ展開を進めようとしてるのなら、病に侵される前の時点で父親と水木は面識があることになり、原作とは矛盾が生じてしまいます。「原点と思いっきり銘打ってるのに原作と出合いの展開が違くならない?」と思いました。

でもこの疑問はすぐに消えました。そもそも鬼太郎誕生は「原作のリメイク映画」ではなく「6期鬼太郎の誕生秘話」を描くものであり、この映画が言う原点とはつまりアニメ6期の鬼太郎の原点であるという考えにすぐ至れたからです。
ちょっと考えれば簡単に思いつくことに疑問を持つアホ

全盛期時の父親が物語に関わるのなら「6期鬼太郎時空の物語」を描くのは必然。大体がオリジナルになるのも当然なワケです。
そもそも原作のリメイクは既にアニメ「墓場鬼太郎」で行ってるので一度行われたモノをわざわざ映画化してまで二度目のリメイクをすることはしないでしょう。
「この映画を原作の正史とするのは嫌」という人も結構見かけましたが、原点とはあくまでも6期鬼太郎としての原点でありほぼその世界線での話になるでしょう。原作の正史とはならないので安心して見てほしいと思う限りです。





第二の疑問

東映アニメーションの映画概要のページを読み進めてみると"最も恐い"の文字が目に入りました。アオリ文でも最恐と大きく書かれ、大量の血を浴びた地蔵群のビジュアルも恐さに拍車をかけていますね。
アオリ、サイト、ビジュアルといろんな方面で恐さを主張していますがここでまた疑問が浮かびました。

鬼太郎は恐怖を売りにする作品か?

「怪奇作品なんだし恐さを押し出すのは当たり前じゃん」と思う人が大体だと思います。
自分も「ホラー要素が前面に出るのは怪奇を題材として作品を作ってる以上避けられないもの」とまで思っています。
じゃあなぜ違和感を覚え、こうして疑問となったかというとこの映画が鬼太郎をホラーものとしてプッシュしすぎてる点。押し出しすぎてただののホラー映画みたいになってない?と。

鬼太郎シリーズに限らず、水木先生の作品は人間の常識では到底及ぶことのできない超常的な存在・現象をメインに据えた和風ゴシックロマンスを題材とし、その中で生まれ感じる不穏不気味、あるいは「理解できないモノだからこそもっと知りたい。感じたい」という浪漫を大々的に押し出しそれを売りにしているのであり、これらの作品群の中で恐怖という要素は物語に風味を加えるスパイスでしかない。一般的なホラー作品やスプラッター映画のように「恐怖そのもの」を売り出してるワケではない。
その中でも鬼太郎シリーズは人間・妖怪・幽霊族、時にはそれ以外も含めた多角的な視点から物語を描いており、それこそホラーだけで押し切ることは不可能な作品でなのである!!!!!!!






私情モリモリで書いてしまいましたが要するに「恐怖恐怖言いすぎてちょっと鬼太郎っぽくないなぁ…」というのが率直な感想。前述のお気持ちじみた文の中に出てきたスパイスを例にすると「風味が強すぎて本来の味が消えちゃっている」ということです。
ただ単にダーティーな雰囲気を伝えたいなら新しく発表されたビジュアルじゃなくても暗い雰囲気が十分出ていたし、わざわざ血みどろにする意味はあまり無いのでは?と考えました。

じゃあティザービジュアルの見せ方は良くないのか?というとそうではなく、むしろこのビジュアルで作品が与えるシリアスさはかなり上がっていると思います。父親と水木を取り巻く並々ならぬ"気"がこちらにバリバリ伝わりました。
製作陣がホラーだけではなく、シリアスさも同時に伝えたくてこのビジュアルを作っていたのなら自分は感服です。全ては製作者当人こそ知るなんですけどね。





おわりに

ここまで長々とティザーを見た疑問とそれに対する考えを書き殴ってきましたが、正直、見ることに対して不安よりもワクワクの方が勝っています。1話で断片的に語られていた6期鬼太郎出生の秘密がとうとう明らかになるワケですし、今までの鬼太郎シリーズの雰囲気とはかなり違う描かれ方になるのはこれはこれで新鮮味があって楽しみで仕方ありません。


今年の11月、しっかり作品を目に焼き付けた後、改めて感想を書こうかなと思います。
映画鬼太郎誕生、とても楽しみです。

*1:彼の死後、その眼球が我が子を思う気持ちにより命が宿ったものが一般的に鬼太郎の父として有名な目玉おやじである